

妊娠・出産にかかわっていると、いつも思います。
結果以上にどのようなプロセスでそこに至ったのか、
そのプロセスにどのような意味があったのかの方がもっと大切だということを。
平成17年、福島県で帝王切開後にお母さんがなくなり、担当の産科医が逮捕されました。
新たな命が誕生するはずの出産で、命を失う。
ご家族には、納得のできない耐え難い体験であったでしょう。
ただ、見えにくいと思いますが、自分たちが関わった命の不幸は、
私たち産科医にとっても、つらく悲しい出来事なのです。
逮捕された医師は、一人でその地域の命を守ってきました。
しかし、これまでの日々の積み重ねや、家族との暮らしも、すべてこの結果が奪いさってしまいました。
そして、その地域でお産をする施設がなくなった。
本当にそれでよかったのでしょうか。
自分の生活を犠牲にして命を見守り、危ういときにはその命を何とかして救おうと努めてきた産科医が、
この事件を契機として全国各地でお産の現場を離れ、多くの産院が閉鎖しています。
もはや医療と行政だけでは対応は難しく、
地域全体で現状を共有していかなければ立ち行かない状況に陥っています。
私たち医療者は医療の限界もふくめて事実を提示し、
家族、そして、社会と対話を重ねてゆかなくてはなりません。
ところが、結果偏重の評価や、芳しくない結果をすぐに医療ミスと結びつけてしまうメディアや、
何かあれば責任を他に押しつける社会の風潮などが、それを難しくしているのです。
私たちも苦しんでいます。
患者は弱者という視点はわかります。
でも、医療者も同じ人間です。
きちんと評価され、受け入れられ、しっかり育ててもらえる環境がなければ、
命にかかわる職は成り立たなくなってしまいます。
どんなに理不尽な結果であっても、
来てくれた命に意味があると気づけたとき、人は一歩前へ進むことができるのです。
辛さや、悲しさを真に乗越えてゆこうとするプロセスとは、
忘れよう、忘れさせようとすることではなく、
家族も医療者もその事実を忘れないで、その時々の感情にも蓋をせずに、共存してゆこうとする、
次につなげてゆこうとする心の動きなのです。
時間のかかるプロセスです。
結果だけで性急に判断しない社会になってほしい。
そのために、私にできることをしてゆきたいと思います。